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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)875号 判決 1965年8月09日

被控訴人 協和銀行

理由

一、本件預金債権の権利者について

控訴人は、昭和二八年一二月一日訴外竹村一次郎を代理人として被控訴銀行大阪南支店(以下「南支店」という。)に金三〇〇万円を普通預金として預け入れ、同額の預金債権を取得した旨主張し、被控訴人はこれを争うので、この点について判断する。

《証拠》を綜合すれば、左の事実を認定することができる。

(一)  訴外田村恵一は、昭和二八年一一月はじめ這禽初太郎が社長である三共建設株式会社(ただし、設立登記未完了。)の取締役総務部長に就任した。当時三共建設は、小曾根某からビル建設工事を請負う予定であつたので、田村は銀行に当座勘定の口座を設ける心要を感じ、以前から知り合いであつた南支店の当座預金係酒井栄信に右口座開設を依頼し、これに成功した。しかるところ、三共建設は、右小曾根から入金を予定していた前渡金一、一〇〇万円が支払われないことになつたため、資金に窮し、田村はじめ幹部の間で資金の導入の方策について協議した結果、第三者に謝礼を支払つて南支店に預金をしてもらい、これを枠にして三共建設の手形の割引を受ける方針を決定した。そこで、三共建設の営業部長主枝某が金融ブローカーの竹内寿男に依頼し、竹内の紹介により同年一一月下旬訴外浜名慶次郎を通じ三〇〇万円の預金の導入を受けられる見通しがついた。

(二)  そこで、田村は、早速酒井栄信を大阪南の繁華街に呼び出し、前記計画を同人に話し三共建設の手形の割引を依頼したが、三共建設は取引も浅いし、たんに他人の普通預金があるだけでは、何の担保にもならないから駄目だと言下に断わられた。すると、田村は、さらに、その金を一時引き出す方法はないかと尋ねた。酒井は、右質問により、田村が他人の預金をほしいままに銀行から払戻を受ける方法の教示を求めているものであることを了解したが、田村からは当座取引の開設をたのまれた時以来酒食の饗応を受けたり遊女の接待の提供を受けたりしていたため、悪いことと知りつつ、「それならば、預金者名義で通帳と印章を紛失した届を銀行に提出し、通帳を再発行してもらつて引出せばよい。」と答え、被控訴銀行における通帳および印章紛失確認ならびに通帳再発行手続の詳細を教えた。田村は、これにより、他人の預金の引出の犯行を実行することを決意するにいたつた。

(三)  一方前記竹内から依頼を受けた浜名慶次郎は、さらに、知人の安藤証券株式会社大阪支店営業部長竹村一次郎に連絡をとり、竹内からの条件(三〇〇万円を南支店に普通預金し一カ月間引き出さないこと。謝礼として日歩一〇銭の割合の金員を支払う。)を伝えて、預金導入者のあつせんを求めた。折よく、竹村はその顧客である控訴人から株式取引の資金として相当の金額を預つていたので、ただちに控訴人に浜名からの話をし、その意向をただしたところ、控訴人から承諾する旨の返事があつた。

(四)  かくて、話がまとまつたので、昭和二八年一二月一日浜名は田村をつれて竹村を勤務先に訪問し、田村を竹村に紹介したうえ三名同道で南支店に赴いた。南支店においては、浜名と竹村が普通預金係の窓口に立ち、田村は少しはなれて立つていた。その窓口の係員は松井智子であつたが、浜名が、まず、同人に対し「三共建設の御紹介で三〇〇万円預金に参りました。」と告げ、竹村が松井から普通預金申込書用紙(乙第一号証)を受取り、預金者氏名として織田純子、住所として大阪市浪速区幸町通り二ノ一日建ビル内と記入した。(織田純子というのは架空名義で、控訴人が株式の取引に使用していた名前であり、この名義を用いるよう控訴人の指示があつた。しかし、住所については控訴人から一任されていたので、竹村は浜名の求めにより三共建設の所在地と同一の場所を記載したのである。)ついで、竹村は、控訴人から預つていた「織田」の印章を押捺し、申込書を完成し、金額三〇〇万円の東海銀行大阪支店保証小切手を添えて松井に渡し預入手続を終つた。預金通帳が作成されるまでの間、田村は浜名を通じて竹村に謝礼金を渡し、これと交換に本件預金を一カ月間引出さない旨の念書を受け取つた。間もなく通帳が出来上つたので、竹村が松井からこれを受取り印章とともにポケツトに納め、他の両名とともに銀行を出た。通帳と印章は二、三日後竹村から控訴人に渡された。

(五)  (反証排斥省略)

右認定の事実関係に基き、当裁判所は、本件預金契約は訴外竹村一次郎を控訴人の代理人として、控訴人と被控訴銀行との間に成立したものであり、控訴人が本件預金債権の権利者であると判断するものであるが、その理由は原判決一〇枚目裏一一行目から一一枚目裏六行目までに記載してあるところと同一であるから、これをここに引用する。

二、本件預金が田村恵一に支払われた経緯について

被控訴銀行が本件預金三〇〇万円を昭和二八年一二月四日以降数回に亘つて全額田村恵一に支払つたことは当事者間に争がなく、《証拠》を綜合すれば、左の事実を認めることができる。

(一)  田村は、本件預金預入の翌日である昭和二八年一二月二日かねてからの計画である本件預金無断引出の犯行をいよいよ実行しようとし、南支店に電話をかけ、「今日手続に行きますから宜しくたのむ」(本件預金につき田村が預金者に無断通帳紛失届を提出するから便宜を与えられたいとの意味)旨酒井に連絡したうえ、同日午前単身普通預金係窓口にあらわれ、前記松井智子に対し、「昨日預金した織田純子の通帳と印章を酒を飲み歩いて鞄に入れたまま紛失した」旨口頭で届け出た。

(二)  さらに、翌三日、田村は再び右普通預金係窓口に来り、松井に対し「通帳はいくら探しても見当らぬから再発行の手続をさせてもらいたい」旨申し入れた。かかる通帳および印章双方紛失の場合、被控訴銀行の内規によると、一カ月間払戻を停止し、その期間経過後通帳再発行の手続をするのが例になつているので、松井および同人の監督者である支店長代理杉田保造において、一たんは田村の右申出を拒絶した。しかしながら、田村が至急に現金の心要があると称して迅速な払戻を求めるので、杉田もこれに妥協し、本件預金は三共建設の裏勘定の預金であつて婦人の架空名義を使用しているものであり田村に払戻の権限があるとの判断のもとに、田村の便宜をはかるため右内規によらず、いわゆる「便宜扱」として即時通帳再発行の手続をとることとし、田村をして織田純子名義の通帳紛失届および改印届(乙第三号証および第六号証。なお、右各届書における島田文吉名義の保証人の署名捺印も田村がしたものである。)を提出せしめた。そして、右紛失届受理に伴い、松井は、即日本件預金の名義人織田純子に対しその届出住所にあてて「通帳紛失の届出に接したが事実相違ないか照会する」旨記載した照会状(乙第四号証)に通帳再発行請求書兼受取書用紙〆同封して郵送した。

(三)  その夜、田村は酒井栄信と料理屋で落合い、「今晩か明朝には銀行の照会状が行くからそれを銀行に持参すればよい」と教えられたところ、果して翌四日朝日建ビル備付の郵便受函の中に前記照会状が配達されているのを発見したので、ただちにこれを南支店に持参提出した。そこで前記杉田支店長代理は、田村の右照会状持参によりいよいよ本件預金が三共建設の裏預金なりとの確信を深め、松井智子に命じて新通帳を発行せしめ、同時に田村の求めにより金一〇〇万円を払い出したのをはじめとし、田村に対し同月五日八〇万円、七日二六万円、九日一二万円、一〇日八〇万円、一一日一万五、〇〇〇円、一二日五、〇〇〇円を支払つたのである。なお、この間において、松井智子は同月八日改印届についての照会状を名義人織田純子および保証人島田文吉にあてて発送し、同月一〇日田村から右両名名義の各承認書を受領した。

(反証排斥省略)

三、被控訴人の抗弁に対する判断

(一)  被控訴人は、まず、本件預金は田村恵一の申込により、名義人を織田純子とすべき旨指図を受け、その名義で受入を了したものであり、被控訴人は名義人たる織田純子の機関としての田村に支払をなしたから本件預金は消滅した旨主張する。しかしながら、すでに判断したように、本件預金は田村恵一において申込をなしその名義人を織田純子となすべき旨指示したものでないことはもちろん、本件預金の権利者は控訴人であつて、控訴人と田村との間には何らの機関関係も存しないことは明らかであるから、被控訴人の右抗弁は失当である。(なお、被控訴人の右抗弁は必ずしも明確でないが、仮に、被控訴人の主張の趣旨が、「本件預金が三共建設又は田村の権利に属しないとしても織田純子の名義のもとに行動した田村に対する支払が正当である」というにあるとすれば、それは結局後記準占有者に対する弁済の抗弁と同趣旨に帰着するものである。)

(二)  次に、被控訴人は、「田村恵一はかねて被控訴人と当座取引のあつた三共建設の取締役総務部長として南支店に出入し行員と面識があつたところ、同人が預金者を架空の婦人名義とし、その住所を三共建設の住所と同一とした本件預金の預入をなし、その後、通帳・印章の紛失を届出、通帳再発行・改印の手続を正当にふんで払戻を受けたのであるから、田村に対する支払は債権の準占有者に対する弁済として有効である。」と主張する。

およそ、銀行に対する預金債権について準占有を考える場合最も典型的な事例として挙げ得るのは預金通帳および印章の所持であつて、本件においても田村は紛失届に基き再発行された通帳および改印後の新印章を所持しこれにより本件預金の払戻を受けたのであるが、これらは本件預金成立の当初作成された通帳、又は、預金者を表象するものとして届出られた印章と異なり、むしろ、被控訴銀行が田村を本件預金の権利者と認めたのち、その前提に立つて同人に交付したものに外ならないから、田村が債権者なりや否やを確認するための資料としては全く無価値であることが明らかである。しかしながら、預金債権の準占有者たるには必ずしも預金通帳および印章を所持することを要せず、弁済者の側より観察し社会一般の取引観念に照して真実債権を有すると考えるに足る外観を備えていれば足るものということができる。しかして、被控訴人が田村につき右の意味において債権者たるの外観を有するものと認めた根拠として挙示するところは、(1)田村が南支店の行員と面識があつたこと、(2)預金名義人が女名前であつたこと、(3)届出住所が三共建設の住所と同一であつたこと、(4)田村が本件預金の手続をして通帳、印章を持ち帰つたこと、(5)田村が南支店から郵送された照会状を南支店に持参したことの五点であることはその主張に照し明白である。そこで、これらの点につき逐次考察するに、まず、右抗弁の根幹をなすと考えられる(4)の点については被控訴人の主張は全く認められないことさきに認定したとおりである。昭和二八年一二月一日本件預金申込書を作成し三〇〇万円の小切手とともに松井智子に提出して預入手続をなし、通帳、印章を懐中に入れて持ち帰つたのは、田村ではなくて竹村であり、田村は竹村の隣にいた浜名からさらに離れて立つていたにすぎないのである。次に、右(1)ないし(3)の点は、本件預金の預入を田村がしたとしたうえで、本件預金の権利者が三共建設であることを推測するための材料であるにすぎず、田村が債権者たる外観を有することを認めるについての根拠となり得るものではない。最後に、(5)の点については、被控訴人としては織田純子なる婦人が架空人であると推測したのであるから同人に宛て発送された郵便物は返戻されることを予期すべきであつたのである(当審証人中根源二郎、同杉田保造の各証言によれば、被控訴人は宛所たる日建ビル内に入居しているのが三共建設一社のみであることは確かめていなかつたのであるし、しかも、照会状の宛先には「三共建設内」という肩書もないのであるから、三共建設、従つて田村のもとに到達することは困難と考えるのが筋道である。)。しかるに、右照会状が無事配達されて田村の手にある以上、織田純子は実在する人物であつて同人の手から照会状が田村に交付されたと認めざるを得ない。(そうでなければ、田村は三共建設以外の者に配達された郵便物を盗取してきた―不幸にして本件において事実はまさにそうであつたのであるが―という異常事態を仮定せざるを得なくなる。)かくして、織田が実在人であると認むべき以上、本件預金は、その預入の際特段の意思表示がなかつたのであるから、名義人たる織田の権利に属するものと考えざるを得ない。従つて、前記照会状を田村が南支店に持参したことは、被控訴人にとつては、田村(又は三共建設の代理人としての同人)を本件預金の権利者と認めさせる客観的な根拠にはならないのである。以上のように見てくると、被控訴銀行が田村に対し預金通帳を再発行して田村に本件預金を払戻した当時において、田村をもつて客観的に債権者なりと考えるに足る外観的資料は存在しなかつたものといわざるを得ない。よつて、田村は、本件預金債権の準占有者に該当しないというべきである。

仮に、百歩を譲り、田村が準占有者にあたると解しても、被控訴人の本件預金払戻は少くとも無過失であつたものということができない。けだし、本件預金手続を現実になしたのは繰り返し述べたように竹村一次郎であつて、田村恵一ではなかつた。田村は預金手続をしている竹村に対し浜名をはさんで少し離れたところに立つていた。そして、浜名は、「三共建設の紹介で預金に来た」旨発言したが、田村については南支店行員と話を交えた何らの形跡も認められない。預金手続の際の三名の行動がかくの如きものであつたにもかかわらず、南支店の窓口掛松井智子は、田村が単身あらわれて自分が預金通帳を落したと申し出るや簡単に田村の言を信じ、その報告を受けた杉田保造支店長代理もそこに疑をさしはさまなかつた。しかも、田村が通帳紛失の申告をしたのは預金手続の翌日のことにすぎなかつたのである。南支店職員のこの誤解の根本には田村が顔見知りであつたということが伏在していたと考えられるが、その「顔見知り」というも、《証拠》によれば、田村が前記紛失届に来るまで松井智子でさえ氏名も知らず、話をしたこともなく、ただ漠然と三共建設の人であるという程度の認識をもつていたにすぎないのであり、杉田にいたつては田村が通帳紛失届を提出した一二月三日にはじめて田村を知つた程度であることが認められるのである(右認定に反する前記中根証人および杉田証人の各証言は信用できない。)。されば、被控訴銀行係員としては、かかる淡い面識をたよりとして安易にしかも何らの根拠なく田村、竹村、浜名を一体と見、田村を債権者であると軽信すべきではなく、現実に預金手続をなし通帳、印章を持ち帰つた竹村との関係ひいては田村自身が本件預金の権利者なることを田村が明白に立証せざる限り同人に対する支払を拒むべきであつたのである。従つて、少くともこの点において本件弁済につき被控訴人は過失の責を免れない。以上の次第により、被控訴人の田村に対する支払は有効ということができないから、右抗弁は排斥を免れない。

四、結論

しかして、当審における控訴本人尋問の結果によれば、控訴人が被控訴人に対し昭和二八年一二月三〇日本件預金の返還を請求したことを認めるに充分である。よつて、控訴人の第一次請求原因に基き、被控訴人に対し金三〇〇万円とこれに対する返還請求の日の翌日である昭和二八年一二月三一日から支払ずみにいたるまで年六分の商事法定利率(本件預金債権が商行為により生じたものであることはいうまでもない。)による損害金の支払を求める本訴請求は正当として認容すべきものである。

よつて、右と異なる原判決は、不当であるからこれを取り消す。

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